甲山寺について沿革・歴史History

弘法大師を育んだふるさと

弘法大師の生まれ故郷。
幼少期の頃よく遊んだ場所。

甲山寺の周辺は、真魚少年(弘法大師の幼名)が幼い頃によく遊んでいたと言われる場所です。昔は一面、仙遊が原と呼ばれる野原が広がる自然豊かな地で、真魚少年は、泥土で仏像をつくったり、草木で小さなお堂をつくったり、石を重ねた塔をつくったりして、活発に過ごしていました。
甲山寺は、弘法大師を育んだふるさととして、深い縁がある場所なのです。

岩窟に毘沙門天を安置

翁のお告げに導かれ、
みずから毘沙門天を刻み祈祷。

約千二百年前、平安時代の初期、壮年期の弘法大使は、善通寺と曼荼羅寺の間に、伽藍を建てる霊地を探していました。幼少期に遊んでいた甲山を歩いていると、岩窟から翁が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう」とお告げがあったそうです。そこで、弘法大師は、石に毘沙門天を刻み、岩窟におまつりしたとされています。

うさぎ寺の由来

境内には十四羽のうさぎ瓦と二羽の親子うさぎ。
探してみるのもお楽しみ。

「うさぎ寺」として十六羽のうさぎたちが出迎えてくれる甲山寺。ご本尊である薬師如来の左右には、脇侍(わきじ)として日光菩薩(にっこうぼさつ)と月光菩薩(がっこうぼさつ)がまつられています。うさぎとのご縁は、向かって左側の月光菩薩が持っている月輪にうさぎが描かれていたことに由来します。
境内には、月輪から飛び出したうさぎが十六羽。そのうちの十四羽は、屋根のうさぎ瓦で、瓦が作られた江戸時代からずっと、お参りする方々を見守り続けています。二羽の親子うさぎは、なでながらお参りできる「なで仏」として親しまれています。

満濃池の改修工事

わずか三ヵ月で工事を完成させた弘法大師。
祈願した薬師如来が甲山寺本尊に。

香川県は昔から雨が少なく、水には苦労してきた地域。そのため、農業用のため池は数多く作られていて、なかでも満濃池は、日本最大級のものとして知られています。しかし、洪水によりたびたび決壊していたことから、平安時代の弘仁十二年(八二一年)、嵯峨天皇の勅命を受けて改修工事にあたったのが、弘法大師。朝廷から派遣された築池使でさえも果たせなかった難事業でした。
弘法大師は、工事の安全と完成を願って薬師如来を刻み、加持祈祷を行いました。すると、弘法大師を慕う数万の人々が駆け付け、工事は、わずか三ヵ月で完成。朝廷からも功績をたたえられ、その報奨金で建立されたのが甲山寺です。